起源・沿革

 当寺は、真成山と号し、真宗大谷派の寺院で東本願寺の末寺です。

本尊は阿弥陀如来立像です。

 「寺伝」『新編武蔵風土記稿』によると寛永18年(1641年)、僧願正によって奥羽街道と日光御成街道の分岐点であった幸手宿に近い武蔵国葛飾郡神明内村(現・埼玉県幸手市)に開創され、谷中山善照院と称していました。

 やがて近代に至り中興開山の足立道貫(昭和15年寂)は、宗門の隆盛を図るため、浅草・中野等で布教を行い、そして大正12年に現在地に移転、昭和8年に仮本堂を建立し、ついで昭和12年には移転を完了しました。

 現在の近代的な伽藍は50周年を記念して昭和58年に建立されたものです。

 本尊の阿弥陀如来立像は、木像寄木造り、お顔は端正で伏し目がちな玉眼と豊かな頬とが温顔をつくっています。

 この本尊は、仏法僧の内の僧を示す親鸞聖人絵像と共に埼玉県神明内村の旧所から移されてきたものです。制作年代は明らかではありませんが、その様式および寺の開創年代などから推測して、本尊もそのころ(江戸時代初期)のものと考えられます。

 なお、明治時代の作と思われる聖徳太子立像も安置されています。